1.【認知的不協和理論】とは、自分の「行動」を正当化しようとする『心理的メカニズム』
【認知的不協和】とは?
『自分が正しいと信じてきた認知(考え・行動・価値観)』とは別の
『新しい・矛盾する認知』が出てきた状態
あるいは
『理想の自分』と『現実の自分』との《不協和(ギャップ・矛盾)》の間で
バランスが取れなくなっている状態
で、そのときに覚える“不快感”や“ストレス”を表す“社会心理学用語”
そして
人は【認知的不協和】(矛盾)の状態にあるとき
何とかそこから抜け出し、矛盾を解消し
自分の『行動』を正当化しようとする
その考え方を【認知的不協和理論】という
この理論を提唱した“レオン・フェスティンガー”の仮説 によると
1;不協和を低減・解消させるために何らかの圧力(行動)を起こす
具体的には
“古い認知”か“新しい認知”のいずれかを否定する傾向にあり
①“新しい認知”を取り入れ、“古い認知”を変える
②“古い認知”に拘り、“新しい認知”を否定する
のどちらかのことが多い
その場合
比較的「変えやすい」方の認知を変えることで
「絶対に変えられない」認知を正当化しようとする
または
③都合のいい情報ばかりを集め(認知の追加)
“都合の悪い”情報を避けたり、解釈を変更することで
不快感やストレスを無意識に解消しようとする(合理化)
そうして不協和を低減・解消し自己正当化する
例えば『失敗』をした場合、その《事実》は絶対に変えられないので
その損害を最小限を食い止めようと行動したり
また、それを正当化しようと都合の良い方に考える
無意識にその「嫌なこと・都合の悪いこと」を避け・矮小化るように
認知を変更する
例)好きだった人に振られた途端に、憎悪し、悪口を拡散する
→心が傷付かないように“無意識に”「好み」が変わる
例)すっぱい葡萄(日)wikipedia
参考図)「すっぱいブドウ」は本当か?|脳科学研究所|玉川学園
『価値観(好み・欲望・信念)』→《不協和》←『行動(失敗・挫折・諦め)』
↓
不協和を解消しようとする圧力
(心の痛みを低減させるようとする防衛機制)
↓
『行動』を正当化させるために『価値観・好み』を変更する
2;不協和を低減させる圧力の強弱は不協和の大きさの関数である
不協和の度合いが大きければ大きいほど
それに比例して低減させようとする圧力は大きくなる
●『理想の自分』と『現実の自分』との不協和(ギャップ)が大きいほど
●心の中の『不安・恐怖・不全感・劣等感・ストレス』が大きいほど⋯
●自分の《感情・価値観》と周りの人々《社会・環境・政治など》との
温度差(ギャップ)が大きいほど⋯
それを解消しようとする圧力が高まり
冷静になって客観的・論理的・合理的な思考することができなくなり⋯
○デマ・噂・流言を信じ込みやすくなる
○『詐欺・マルチ商法・カルト宗教・陰謀論⋯』にハマりやすく
○「みんなと同じでなければならない」「遅れてはならない」と
ひたすら『流行・ファッション』を追い求め
○『全体主義・独裁主義・ファシズム』に陥りやすくなる
自分の拘りが強いほど⋯
「〜でなければならない。みんなと同じでなければならない」
「バカにされたくない。認められたい」
という思いが強いほど、感情的・衝動的・攻撃的になる
また、それが地震の後の
デマ・噂・流言が広まる原因となる→【認知の改変・追加】
自分の中の“不安・恐怖”を正当化するために“デマ・噂・流言”を信じ
それを吹聴・拡散する(無意識に嘘をつく・脅迫する・不安に陥れる)ことで
『自分』と『周り』の不協和(ギャップ)を解消しようとする
心の中の“不安・恐怖”が大きければ大きいほど、より過激になり
行動がエスカレートしていく
参考)Leon Festinger(en.wikipedia)
【認知的不協和理論】とは、
自分の「行動(依存)」を正当化しようとする『心理的メカニズム』
タバコの例を見ると⋯
認知1.タバコを吸う(古い認知)
↕ (認知的不協和)
認知2.タバコを吸うと肺癌になりやすい(新しい認知)
この不協和を解消するためこのには?⋯
選択A=認知1の変更
認知3.禁煙する
これで不協和は解消する
⋯しかし実際には
『ニコチン依存症』になると簡単にはやめられない
そうすると
喫煙(依存)を『正当化』するために《新しい認知を追加する》
選択B=認知の追加→認知2の否認・矮小化
認知4.長寿の人もいる
認知5.交通事故で死亡する確率の方が高い
そうして都合の悪い(肺癌になりやすい)ことを否認・矮小化し
見えなくすることで、自分の行動(依存)を正当化しようとする
そう考えると⋯
【認知的不協和理論】は
自分の『行動』(依存)や『価値観・信念』(〜でなければならない)や
『欲望・感情』(不安・恐怖・快感・憎悪・怒り)を正当化しようとする
『心理的メカニズム』である
と言える